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2006年8月16日(水曜日)

 一昨年、只野艦長のお供で英国旅行に行くってえ時に只野艦長はNikon D70という一眼デジタルカメラを買って、今でも使ってぇるわけだが、昨年後継機のD70sが発売された。 こいつはさほどD70と違ぇが無ぇため別に何ということも無ぇんだが、今度は8/9にD70sの後継機D80ってぇが発表された。


 で、昨日只野艦長の命令で、D80のカタログをもらってきたってぇすんぽうなんだ。あっしも一緒に見せてもらったがD200同様1,020万画素になるはペンタプリズム、2.5型液晶、11点測距なんかを搭載するはで只野艦長の買い替え意欲をそそっちまった。
 ところがだ、記録メディアってぇやつがCFカードからSDHC/SDメモリーカードに変わっちまった。SDメモリーカードってぇのは大きさもCFカードより小させぇし、もちのろん互換性なんかねぇ。おまけに昨年英国旅行に行くってぇときに6GBCFカードMicroDriveを買ったばかりなんだ。それに昨年出たD200ってぇ1,020万画素の上位機種も記録メディアがCFカードだったんだな。それで只野艦長の買い替え意欲が怒りに変わっちまって、あっしに大八つ当たりで、いい迷惑でぇ。
 てぇわけで、只野艦長に代わって言わせてもらうぜ。

 「Nikonの大バカヤロ〜〜!!!」

 
あ〜、すっきりした。


 でもなあ、あっしの目から見ると只野艦長ときたらD70の機能も満足に使ぇこなせていねえんだ、それにD70の600万画素から1,020万画素だぜ、つうことは同じRAW形式で撮影したってぇ1枚あたりのファイルサイズがでかくなるってぇことで、仮にだぜ同んなじ容量の記録メディアを使っても撮影できる枚数はすくなるってぇことだ。
 只野艦長と来たら自分に撮影する腕が無ぇのを知ってるもんだから「数撃ちゃ当たる」ってぇことでとにかく撮影しまくるんだ。昨年の英国旅行なんか約2800枚も撮影したんだぜ、おかげでそいつを整理させられたあっしはいい迷惑でぇ。


 でもなあ、1,020万画素は魅力だよなぁ、こないだ只野艦長の撮影したHMSビクトリーの写真をフォトショップでいじってたんだが、600万画素のRAWデータの凄さを実感したもんなぁ。なんせ、おんなじD70でJPEGで撮影した絵とぜんぜん違ぇんだ。
 さ、只野艦長はどうする気なのかねぇ、なんせサブのコンパクトデジカメを、実家に帰ったとたんお袋さんに
  「こういうのが欲しかったの、あなたいいカメラも持っているのだから2台も要らないわよね、
   このコンパクトデジカメは私が貰っておくわ」
ってとりげられちまった。
 まぁ一眼デジカメとサブのコンパクトデジカメの使い分けをいくら説明しても年とったお袋さんにや解ってもらえんもんな、だからサブのコンパクトデジカメも買わなきゃなんでぇんだ。
 半年も陸に上がっちまって先立つもんもねえ上に、参考資料と称しちゃ読めもしねぇ洋書買い込んだりしてるんだぜぇ。困ったおひとだぜぇ、まったく。


 あっしは、記録メディアを変えたNikonの考ぇも解るなぁ。
 CFカードは設計が古いんで、その後出た記録メディアよりでけぇ、そのうえインタフェースの転送速度もこれ以上上げれねぇんじゃねぇかな。
 D80は連射モードも最大100コマ/秒(画質モードNormal、画像サイズL時ってぇことだがね)までスピードが上がってぇるし、1,020万画素ってぇことはそんだけデータもでけぇ、記録メディアへの転送速度をあげねえと、使うお人がいらいらすらぁ。
 それに新しいSDHCカードでは記録容量32GBまでメモリカードで実現が可能だ。Nikonは先を見て決断したってぇわけだ。
 だから、もう1〜2年D70で腕磨いてから買い替えても遅くはあるめぇよ。


 ところでぜんぜん話は変わるが、昨日小泉のやつ本当に敗戦記念日に靖国神社に参拝しやがった。
 あっしが書いた7/20の記事と,、昨日の記事を呼んだお人に勘違ぇされると困るんでぇ一言言っておきてぇ。
 7/20に書いたようにあっしは日本の首相が靖国神社を参拝しようと別に反対するつもりはねぇ、それに日本はちゃんと   国際社会の現実を見据えて実質的に軍隊ってえ自衛隊なんてもんじゃなく、純粋に国家防衛のためのに国防軍にすべきだと考ぇてぇる。その上で国連軍等の関係をどうするっかってぇいうと、あっしはどちらかてぇっと海外派兵は反対だ。だけんどこれは国際外交、関係のもんでぇだから言い切れっかなぁ、ちょいと無理かもしんねえ。日本が海外との貿易でなりたってぇいるからにはシー・レーンの安全を考ぇる必要があっからな。
 しかし戦前の国家神道を肯定してるわけじゃねぇ、あっしは国家神道なんてでぇっきれえだ。ありゃファシズム以外のなにものでもねえ。だが日本古来の怨霊信仰てぇものを信じてもいるんでぇ、戦争なんてぇもんで無念の死をとげたお人に怨霊となって祟られるってぇのも困るんだな。


 一部の政治屋どもと右翼が後押してぇる

戦前の国家神道の復活には大反対だ

コメント 2 件
  1. シバサキ縫帆兵 より:

    ウチんとこの戦隊司令官の伯父さんが靖国にいて、司令官も一度きりでやすけど、命日のお参りに行ったそうっす。神殿に上がって、神棚の正面の畳に座って、祝詞(お経じゃねぇっすよね?)を聞きながら神棚の鏡を見てっと、伯父さん(もちろん、司令官はその伯父さんとお会いしたことはねぇっすよ?)やほかの皆さんが、そこからこっちを覗いてるような気になったそうっす。

    まー、世間様は毎年ちょこっとずつ変わってると思いやすけど、60年前とはずいぶん変わってると思いやす。司令官は巫女さんの熨斗紙にくるんだ髪が茶色かったとか、ぶーたれてやしたっけ(ったく、どこ観てんすかねぇ?)。

    そんなこんなで、昨今の靖国を巡る社会の変わりようときたら、鏡の向こうでもびっくりしてるのかも知れやせんねぇ。

    もちろん、戦隊司令官の神社本庁嫌いときたら筋金が入ってやす。あそこが中心になってる国家神道が幅きかすようになったら、迷わずフランスに逃げ出すって言ってやすぜ。けっ、なんたってカエルんとこなんか行かにゃあ……あ、シャープ中佐もフランスで余生を送ってやすねぇ。

  2. JohnSmith より:

    東京にいた4年間に一回位行ってみるかと言っていた只野艦長が、結局一度も行かずじまい。お供のあっしも行かずじまいでさぁ。まあ、たたり封じの神社としちゃ新しすぎやすからね。それにあっしも只野艦長も神社本庁嫌いなんすよね。只野艦長も逃げ出すでしょうなあ、行き先はオーストラリアあたりが無難、なんたってHMSエンデバーがいやすから。
    あっしの一番好きな神社はお伊勢さんの内宮でね、名古屋に帰ぇってきたんでぇ、只野艦長のお供でお伊勢詣でができやす。

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