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2006年7月9日(日曜日)

俺様の趣味の一つが、ポタリング(pottering)でぇ。自転車でのんびり散歩することだな。ということで昨日もでかけてきたぜぇ。

行った先は、徳川美術館でぇ。今、調度「尾張徳川家、殿様の愛した名刀」展てぇのをやっていてな、それを観にいったてぇわけだ。

 BD-1 俺様の愛車BD-1だ。















 10数年ぶりに行ったが、この門以外ここも変わっちまたな。 徳川園












俺様が小学生、中学生のころここに図書館があってな、小学生の頃から通い詰めて、アリステア・マクリーンだの、マイク・ホアのコンゴ白人傭兵を描いた「黒い国の白い傭兵」だの、第二次世界大戦史、シェークスピア「ヘンリー五世」のアジャンクールめぇの「少数なる幸い者」の台詞、「ジュリアス・シーザー」のアントニウスの「共よローマ市民よ、同方諸君・・・」なんて台詞からドリトル先生、長靴下のピッピ、十五少年漂流記だの読み漁ったところだ。
なぜかランサムは読んでねぇ、そのころは合わなかったんだろうな。
それに勝手に遊べる雑木林があってな良く遊んだものさ。ところが、どっこい、今度行ったら図書館はねぇ、雑木林も日本庭園が出来ちまって金ださねぇと入れねぇと来たもんだ。聞いたら昨年から変わったとか言ってたが「10年一昔めぇ」てぇことだな。


場所はここ徳川園の中にある、江戸時代は尾張徳川家の下屋敷だったところだ。


おっと、話がそれちまった。「尾張徳川家、殿様の愛した名刀」展の話だな、さすがに500振りの刀剣、長刀・槍・短刀まで併せると1000振りを超える収蔵品を抱える美術館だ。徳川家康の愛刀7振り(何故か村正もある)から始まって、尾張徳川家16代の殿様の愛刀がずらりと並んでいるってえのは観ごてぇがあったぜ。正宗はもちろん、菊一文字など平安、鎌倉、南北朝期の名刀もある。でも胴田貫、虎鉄など実戦刀はねぇ。


所が困ったてぇことに俺様は日本刀を美術品としてだけでは見れねぇんだ


確かに日本刀はその鍛え抜かれた刀身の見事さ、姿形、拵えなど日本人の魂を感じてはいる。でもなあ、俺様にとっては武器なんだ、戦場でどれだけ使われたのか、果たして試刀でどれだけの胴を落としたか、実戦でどれだけ人を切れたのかと言った目でしか観れねぇんだな。
鎌倉、南北朝、戦国時代の戦で使われたのは弓、槍、火縄銃であって、日本刀は首を取る時くれぇしか使われてねぇ。使われても「尾張徳川家、殿様の愛した名刀」展に展示されているような刀じゃねぇ、重ねが厚く、身幅も広く、三尺を超える長刀の2本差だったはずなんでぇ。
そういう意味じゃ、「尾張徳川家、殿様の愛した名刀」展は面白かったけど、ちょいとがっかりさ。ま、尾張の殿様の刀じゃしゃねぇか。


鎌倉、南北朝、戦国時代の戦での一騎打ちなんぞで日本刀が使われたってぇ考えが日本人には一般的だがそれは違うぜぇ。日本刀ってのは鎧冑の武士に切りつけたら折れちまうものなんだ。その辺興味があればこんな本がお薦めだ。


帰りは矢田川って川の堤防を走って帰ぇってきた。写真は鉄橋を超える名鉄瀬戸線の列車だ、都会と言いながら名古屋てぇのは田舎の電車だろ。 瀬戸電

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